10、奥只見ダム着工まで

銀山平の豪雪や水資源を利用した水力発電は、地元有志により
早くから検討され、大正14年には県へ働きかけていたようですが
実際には莫大な費用の点からも無理が多く、民間の電力会社に
頼るしかない状態のようでしたが、戦争によって中断。
戦後の復興に伴い、電力の必要が求められ実行へ向かう中
新潟県、福島県にまたがる立地条件から、只見川開発のルートを
巡り、県主張のそれぞれの案で揉めたようです。

福島県の主張は、昭和21年に日本発想電が練り上げたもので
尾瀬ヶ原に一大ダムを構築し、奥只見→前沢→田子倉と4ダムを
階段式に次々と水利用をし、その下に調整池を持つダム式発電所を
作り、只見川から阿賀野川にかけて17カ所で利用するというもの。

新潟県の主張は、奥只見ダム湖から枝折峠の山腹をぶち抜いて
延長11キロの水路トンネルで佐梨川へ導水、落差を利用して
湯之谷第一、第二、第三発電所を設け、更に下流でも発電所を
建設するというもの。また田子倉ダムから黒又川にもトンネルで
導水し発電所を作ると共に、その水を灌漑用水に利用するというもの。

それぞれが政治家に働きかけた結果、政争に発展し
中央の政治家への接待が横行し、「只見川」ではなく
「只飲み川」だと比喩されたそうです。
昭和28年7月、ようやく政府の最終案が決まり
基本的には本流案(福島案)として、奥只見ダムから渇水期に
限り隧道で黒又川へ保水すると決まったものの、8年後には
黒又川分水は中止され、分水トンネルは堀りかけで中断した。
この間、昭和25年の朝鮮戦争の特需景気で電力不足が深刻化し
26年5月に民営の九電力会社が発足し、27年には
電源開発促進法が出来、「電源開発株式会社」が設立される。
そして昭和28年11月には電源開発(株)の奥只見建設所が
小出町に設けられ、水没地の補償交渉が始まると共に
29年には資材運送用トンネル(シルバーライン)も着工された。

参考著書 「銀山平を拓いた人々」 磯部定治 編著

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