9、銀山平に残る地名と生活

さて引き続き本に戻りますが、昭和12年頃には銀山拓殖(株)
会社を中心に銀山平での大開墾計画が薦められたり、それ以前から
水力発電の計画も持ち上がったりするなか、時代は太平洋戦争へと
進み、計画が進展することなく終戦へ向かいます。
ここで奥只見ダムに沈んだ地名の由来に触れていますので紹介。
ダム湖底に沈んだ中心の浪拝(なみおがみ)と言う地名は
銀鉱のあった時代からの物ですが、江戸時代は「波尾神」と書き
その地が樹木の少ない岩場で、大きな岩がまるで大浪がうねる様に
見えたことから、その大岩壁そのものをご神体として拝んだとのこと。
そしてその岩山の頂近くに突出した岩が、人が蓮台に座って見える
事から仏像に見立て虚空蔵菩薩像と言っていたようです。
今も釣り人が場所を示すときに「虚空蔵岩」と目印にしています。
この浪拝や虚空蔵岩、枝折峠にある枝折大明神などが銀山平で
守護神と崇められたのは、江戸時代から伝わる伝説「尾瀬三郎」にも
出てくるので、早くからあったようです。
また大岩壁を挟んだ対岸には、只見川の水際にとても熱い湯が湧き
石積みで囲った湯船が儲けられ、温泉として利用されたそうで
この温泉を根拠に、現在の銀山平温泉の源泉が採掘されました。
さて、次はいよいよ奥只見電力開発の話に移ります。

参考著書 「銀山平を拓いた人々」  磯部定治 編著

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