村杉小屋は「村杉沢」の脇に建てた事もありますが、採掘当時「村杉」と言う宿場もあったそうです。
山菜を取り、釣った魚を保存食にし、S46年にはシルバーラインも一般道となり、生活に不便はなくなりましたが、自家製の大根を燻す為に小屋を掛けたりと自然の知恵を受け継いでいました


   自然木と萱かけ)手作り小屋→

奥只見銀山平温泉と村杉の歴史


食材に使う虹鱒は鱒池に飼い、必要に応じて調理しましたので 
時には孫娘も参加して私設の釣堀となり楽しんでいました。
おじいちゃんが魚の腹を割き、まだ動いている魚の心臓を
孫の手のひらに乗せたり、動き回る魚はえらに指を突っ込んで
つかむなど色々伝授してもらいました


村杉と銀山平のあゆみ


年表の解説

年に数組 作家開高健氏ファンの方が尋ねてくださいます
釣り人も北ノ又の全面禁漁に興味をもたれます
そしてリピーターの方からも、この銀山平温泉地区移転について質問されます

そこで年表の補足をさせていただきますので、興味のある所だけご利用下さい
年表は時代に遡っていくように作成しましたが、こちらはテーマごとに補足致します


村杉が釣宿になるまでの経緯

奥只見ダム建設に当たり受け取った補償金の一部で山菜小屋を新築し、中ノ又などへの移動手段用に和船を1艘購入したのがきっかけとなり、ボチボチ来始めていた釣り人の宿泊や釣り船ガイドを依頼に応じて始める

2年後には村杉沢の脇に初代の村杉小屋を新築し移転する
(補償金を大切に維持していたそうです。大湯温泉で散在した人も多かったとか)
すぐ隣接して県の林業事務所が建ち、渡り廊下で繋げ賄を請け負いながら釣宿 村杉小屋のスタートです
(林業事務所の仕事は国道352号となる福島県との県境金泉橋までの林道作りです)


作家開高健氏との出会い

S38年頃から常連であった釣仲間「銀山会」には、ルアー釣を広めた釣師「常見忠氏」も居て、その紹介によりS45年5月に開高健氏がフィッシュオンの取材に銀山へ始めて来たそうです。

すっかり銀山の自然が気に入った開高先生が「再度来るので今度は長逗留をしたい」との申し出に「大先生に出せる料理など思いつかないから・・」と辞退する両親を「お二人と同じ物が食べたいのだから」と説き伏せたとの事。

実際両親と一緒に食事をする為、他にお客様がいるような時は姿を見せず、仕事を終えて食事の用意が出来ると、呼びに行くまでも無く現れたようです。
丁度この時期には林道工事も終わっていたので、隣接の事務所には誰もおらず2階の役員部屋(床の間・内廊下付)に宿泊し、6月〜8月までの3ヶ月間ゆっくりと釣りを楽しみつつ、電気の無い中ランプの灯で小説「夏の闇」の構想を練ったと言われています。

この3ヶ月本当に山菜中心の食事だったのですが、特にアケビの新芽を茹で卵黄を落としてしょうゆをかける「木の芽の巣篭もり」が大好物で大どんぶりで平らげたそうです。
開高先生のエッセイでも紹介されていますが、毎晩焼酎を「姉上、指2本下さい」などと酒量を指定しつつ継ぎ足しながら楽しく飲み語らったようです。

この後10月にやっと電気が開通しますが、電話はもちろん無く予約は電報で受け付け、シルバーラインも一般道ではない為、関係者はパス券を見せて利用していたので送迎をしていました。

S46年6月 すっかり銀山の山菜ファンになってくださった開高先生が今度はご家族を連れ、当時サントリー社長佐治家ご家族と一緒に再度木の芽を食べにいらっしゃいました。
更に9月にはお一人で釣に来たのですが、この時は山菜の季節ではないので母は山芋を掘りに宇津野まで下りて用意したようですが、「自然薯は初めて」ととても喜んでもらえたそうです。
この後やっと銀山に電話がひけます


「奥只見の魚を育てる会」

こうして度々開高先生がいらして共に食事をし、釣のお供をするうちに少しづつ自然保護の大切さを話題にし、地元だからこそ出来る自然保護を説き聞かせ、理解出来るまでに先導してくださったようです。
大岩魚で有名だった銀山湖も(貧山湖)とまで言われるほど魚が減少してきた事もあり、地元での危機感も大きくなって来ました。
S50年4月 魚の減少に不安を抱いた釣り人と共に「銀山湖の魚を守ろう」と「奥只見の魚を育てる会」の初会を開き事務局を湯之谷村役場に発足します。
そして11月には第1回記念放流をする事が出来ました。
その後いろいろイベントをしながら大勢の方々とかかわり、現在に至っていますので、詳しくは「奥只見の魚を育てる会」ホームページをご覧頂くとして
地元漁業共同組合に努力して頂き
昭和51年に銀山湖の禁漁期間が現在の10/1〜4/20までとなりました
さらに昭和56年には北ノ又川上流が保護水面となり、密漁の取締りが始まります。


現在も保護水面として、禁漁だけでなく入川制限も設け北之又川生態系保護をしていますので、川遊び等は石抱橋より下流にて行うようご案内しています。


村杉小屋フィッシングハウス村杉村杉へ

やがて渓流釣の他にトローリングやフライフィッシングと、釣もスポーツとして発展し銀山平の各宿の釣り船も「木船」からプラスチック製に変わり、村杉でも船数10台を越えた頃
S57年11月に上越新幹線(大宮駅)まで開業
続いて12月関越高速自動車道(小出〜新潟間開通)
更にS60年10月には関越自動車道全面開通、新幹線も東京駅まで全面開通となり
観光のお客様や観光バスの数も増えていきました

昭和62年釣り船も14層に増え、いよいよ桟橋付近の銀山平バス停前で営業していた食堂を基礎として、3階に建て増しフィッシングハウス村杉と改名
一階は売店・2階は食堂・3階は客室と言う間取りで、宿と食堂・土産物屋を合体させた釣宿となります。
これから10年近くはバブルの影響と、スポーツとしての釣やスキーなどアウトドアスポーツのピークを迎え、トローリング・キャスティングなど船を利用した釣り人と奥只見丸山スキー場の春スキーヤー、紅葉の観光バスと銀山平の一番賑やかだった時期となります。

平成4年10月銀山平から尾瀬方向に湖畔を3kmほど先に行った「丸太橋」で掘削していた温泉がついに湧き出て、銀山平温泉の入り口に辿り着きます
その後温泉センターをどこに立地するかなど、今後の銀山平の方向性の話し合いが時間を掛けて行われますが、詳細は(ノンフィクション世界文化社)でも紹介されています。

 「イワナ棲む山里ー奥只見物語」       足立倫行 著
 「続 奥只見物語ーイヌワシ舞う渓谷」    秋月岩魚 写真

平成10年 10月17日(土)夜〜18日の早朝にかけて台風10号が銀山平地区に直撃し、油断して売店の囲いをしなかった村杉売店ではガラスが割れ、商品が飛び散る被害にあいました。
平成12年 銀山平森林公園遊歩道と共に温泉センターとログハウスが建築
平成13年 雪解けを待って6月から一斉に各宿本館の建設を開始し11月の営業終了と同時に引越しを済ませ旧宿の解体を済ませます。
平成14年 4月より温泉センター「白銀の湯」と同時に温泉宿として「村杉」をオープンし、ホームページも同時に開設します。。

ここで村杉の名前の変化なのですが「村杉小屋」当時は山小屋のイメージが強く、「お風呂はありますか?」などの問い合わせが多かった為、船着場に移転した時に釣宿を伝える意味で「フィッシングハウス村杉」と改名
更に温泉宿に変った事で銀山平温泉と地名が付くことから簡単に「村杉」と言う短い名前に収まりました。


銀山平温泉 ログハウス村

温泉センター「白銀の湯」を中心に、6件の宿が本館の他にログハウス各3棟を管理しそれぞれに営業しています。
ログハウスは3棟とも定員が違い 4名〜、6名〜、8名〜となっていて村杉では本館を1名〜3名の個室としてご用意しています。
本館の内湯の他温泉センター「白銀の湯」を割引(一部無料)でご利用頂けます。