カテゴリー アーカイブ: 昭和思い出語り

細々続く、十二山祭

 

大陸に向かっていた台風18号が、向きを変えて到来予報!

ようやく稲穂も黄金色に実り、稲刈りの最盛期

せめて稲刈りが終わるまで、台風の影響を避けたいですね!

 

銀山平でも急に秋への気配が強くなり、雨天の外気温は

少し高めで朝でも15℃前後、かえって晴天時の方が

一桁へ届く寒暖差となってきています。

 

今週末の連休も天気予報を考慮して、予約は少なく一息!

昨日までに振り込みなどの事務仕事を終了させました。

 

今日は山の神様「十二神社の社日」の日。

昔は旧村杉小屋の裏山に小さな祠があり祭っていましたが

30年ほど以前から尾瀬三郎像の裏山に移転し立派な社に奉納!

 

それも風雪に傷んできたため、今年は尾瀬三郎像に並んで

小さなコンクリートの社を建立し、本日は移転日でもあります。

 

銀山平で山仕事をしてきた地権者が集い、毎年祈りを兼ねて

一席設けられますが、近年は車社会で飲酒が出来ない為

形だけのものに変わりつつありますが。それでも

朝から掃除をし、10時からの祝詞もあるようで

先ほど新しい社を拝見してきました!

 

尾瀬三郎像に上がる97段の階段

尾瀬三郎像に上がる97段の階段

尾瀬三郎像

尾瀬三郎像

十二山神社奉納祭

十二山神社奉納祭

 

豪雪に埋もれる尾瀬三郎像も黒く汚れていましたが

子どもが居た頃は、夏休みの奉仕活動で掃き清められた

97段の階段も近年は放置され、苔生してきました。

 

まだ後方にある社も残っていましたが、間もなく取壊し

積雪に耐えるよう、今度は小さなコンクリート作りです。

 

取壊される古い社

取壊される古い社

新しい御社

新しい御社

奉納祭

 

急な階段を回避し、下りは銀山平キャンプ場の駐車場側へ下ります。

 

銀山平キャンプ

銀山平キャンプ

地蔵様

お地蔵様

 

 

一昨日は昼から町へ出かけ、昨日は記帳など事務仕事で

中々散策時間が取れず、既に薄暗くなりかけていましたが

夕暮れ時に、急いで体調管理としての散策に出てきました。

 

暗くて撮影は上手くいかないかと思いましたが、カメラの

ホワイト補正を+設定から-設定に変えるだけで問題はなく

そろそろ咲き始めるのではと、石抱橋脇にある推測所で

ダイモンジソウの様子をチェック!

 

9/13 6:50

9/13 6:50 外気温16℃

朝の銀山平温泉

朝の銀山平温泉

 

北之又川保護水面 17:21

北之又川保護水面 17:21

 

オトコエシ

オトコエシ

キンミズヒキ

キンミズヒキ

キンミズヒキ

キンミズヒキ

サラシナショウマ

サラシナショウマ

サラシナショウマ

サラシナショウマ

トリカブト

トリカブト

トリカブト

トリカブト

ナギナタコウジュ

ナギナタコウジュ

ナギナタコウジュ

ナギナタコウジュ

カメバヒキオコシ

カメバヒキオコシ

 

川辺では度重なる水上がりに危惧していた山野草ですが

ダイモンジソウは次々蕾を付け始めていて、期待できそう。

 

ただ並ぶチョウジギクは今年は少ないのが寂しいですね。

 

チョウジギク

チョウジギク

ダイモンジソウ蕾

ダイモンジソウ蕾

ダイモンジソウ

ダイモンジソウ

ダイモンジソウ

ダイモンジソウ

ダイモンジソウ

北之又川

北之又川

 

すっかり夕暮れですが、わずかながら雲が赤く染まっていました。

 

銀山平森林公園 17:48

銀山平森林公園 17:48

夕暮れの荒沢岳

夕暮れの荒沢岳

 

昨夜から断続的に強い雨も降っていましたが、今は薄日が差し

時々強い風音が聞こえます・・

 

 

 

 

素敵な本との出会い

 

最近は老眼が進んで、スローペースでしか読書をしなくなり

積極的に本を買うことから遠ざかっています。

 

冬の間は主に図書館を利用して、文字の大きい単行本を借り

興味のある作家さんや、お勧めの新刊などを楽しみましたが

営業期間は図書館に立ち寄らないので、以前読んだ本の読み返し。

 

驚いた事に旅のエッセイは「これ読んだっけ?」と思うほど

新鮮だったりするのは時代の流れか、当時は知らなかった事も

今はTVの旅番組で見ていたり、政治的背景の見聞も一般的に

見聞きできるようになってきたからかな?と思うのですが

だてに歳はとらないようで、少しは理解できるようになったようです。

 

そんな中、立派な新刊本が送られてきて、新刊の醍醐味に触れました。

 

昨年も同じころ送られてきた本「壽屋コピーライター開高健」を読み

親の世代が活躍した昭和史を垣間見る気がいたしましたが

今回の本「佐治敬三と開高健 最強のふたり」は

更にお二人の個人的な生い立ちにまで深く切りこみ

丁度前回の本で疑問に感じた「サントリー会長親子の姓が違う」

その理由なども書かれていたり、昨年の朝ドラ「まっさん」での

日本のウィスキー誕生やら、ビール業界の進展など

コマーシャルを通じて、あ~あの頃の事なのかと納得する

エピソードなどがきめ細かに書かれていて

より深く昭和史を見る思いが致しました。

 

何となく、実業界の近寄りがたい会長と勝手にイメージしていた

佐治敬三氏の生い立ちから、苦労する一生をみると

大阪の商仲間に、昭和をリードしてきた実業家が多くいて

皆様のご苦労や仕事への情熱が伝わってきます。

 

そして漏れ聞く、作家開高健氏の私生活や病後の様子なども

今だから書けるのかと思うほどに詳しく語られています。

 

晩年励んでいた海外での取材番組は、亡くなった後の再放送や

取材時を振り返るドキュメンタリー番組などで見知っていましたが

より詳しい内容に当時の様子が窺えます。

 

この2冊の本は著者が違いますが、

昨年の「壽屋コピーライター開高健」坪松博之著(たる出版)

を読んだ後に今回の

「佐治敬三と開高健 最強のふたり」北康利著(講談社)を読むと

昭和のサラリーマンや実業家の生き様が少し分かるような気がしますし

何より、戦後の苦しい時代からの立ち直りの歴史が伝わってきて

私が子供時代を過ごした昭和30年代から40年代の高度成長期までを

振り返り、意識する事のなかった時代の流れに感動いたしました。

 

たぶん既に読まれた方も多いと思いますし、素人読者の感想文ですが

年をとったからこそ楽しめる読書もあるなと感じるこの頃、

スローライフを楽しむ今の時代が、長く続くと良いのですが・・

 

早々に天候は回復し、青空が広がり朝の外気温10℃です。

 

我家の長女は東南アジアで仕事をしていて、年に1~2度の

里帰りですが、第一目的は魚沼産コシヒカリのまとめ食い?

 

温泉に浸かり、新緑の銀山平を散策し、ガッツリ食べるごはん!

祖父母自給の青菜や日本の新鮮な魚をタップリ食べる合間に

3杯めし(1食ですが)をおかずナシでガッツリ食べる

と言う食べ方、魚沼産コシヒカリは単食するに限るのだそうです。

 

その長女を昼前に浦佐駅まで送り、買い物をして来ましたが

小出エリアは初夏の陽射しに、車中の暑さは銀山平と違いますね。

 

銀山平の新緑も色濃くなり、青葉という様相に変わってきましたが

まだ画像の端に残雪が映り込みますから・・・

 

6月1日 6:50

6月1日 6:50

6月の若葉

窓からの中之岳

窓からの中之岳

窓からの荒沢岳

窓からの荒沢岳

 

そう言えば6月は衣替えの季節ですね。

既に夏服使用の方も多いのでしょうが、私も下界に下りる時は

ポロシャツ1枚と重ね着から脱皮しています。

 

それでは、昨日の続きで銀山平森林公園・遊歩道の様子から

まだまだ残雪が残っていますが、そろそろ散策コースとして

利用可能になってきました。

 

少しは涼をお届けできそうですね。

 

銀山平森林公園・遊歩道

銀山平森林公園・遊歩道

銀山平森林公園・遊歩道

 

高低差のある両サイドも、今は雪により登り易くなっているので

藪に邪魔をされず、探索を楽しめました。

 

シャクナゲの蕾

シャクナゲの蕾

 

ブナ林 015-531 (43)

木漏れ日

木漏れ日

ブナ林

ブナ林

シンボルツリー

両生類の水たまり池

両生類の水たまり池

スノーの水場沢 2

スノーの水場沢 2

遊歩道の二岐

遊歩道の二岐

銀山平森林公園・遊歩道

銀山平森林公園・遊歩道

 

二岐のショートコースでは、殆ど雪が消えましたが

山沿いは雪深く、まだ残雪があります。

 

雪解けの池塘

銀山平森林公園・遊歩道

銀山平森林公園・遊歩道

銀山平森林公園・遊歩道

銀山平森林公園・遊歩道

銀山平森林公園・遊歩道

 

 

 

戦後70年番組で、昭和を振り返る

 

戦後70年を迎える2015年は、日本にとって敗戦後の復興史。

そして70年間戦争や内戦のない、平和な国を維持してきた歴史。

 

「戦争を知らない子供たち」の歌が象徴するように

私自身は戦後の平和な時代が当たり前に育ち、昔の出来事でしたが

還暦を迎えてみると、戦後たった9年後に生を受けていた事に驚き。

 

ベトナムやカンボジアの経済成長する姿を見る度、戦後生まれの

子供たちが、わずか数年で戦争を知らない子供達として成長し

あっという間に、時代が激変している不思議を思ったのですが

良く考えてみれば当たり前の事で、自然災害にしても

阪神淡路大震災から20年たった今、成人を迎えた人ですら

実体験記憶のない世代となり、言い伝えでしか知らない事。

 

大人にとっては、つい最近の出来事のように記憶に残り

日本の自然災害が頻繁になった入口期だったと思うのですが

若い世代にとっては、異常気象こそ当たり前の時代となり

バブルを知らない世代と言われているのですから・・

 

NHKで日本の肖像・戦後70年の歴史を見ていて

貧しい暮らしが当たり前な幼少期を過ごした私としても

今なら「敗戦後10年足らずの生活として当たり前の事」と

意味つけられますし、子供心にも戦後と言う認識はなくとも

慎ましい暮らしは世間一般的な当たり前の事だったのですが

子供では知ることのなかった「朝鮮戦争による特需」を機に

戦後復興が急速に進み、やがて公害に苦しむ日本の姿に変化。

 

東京オリンピックで、交通インフラが急速に発展し

大阪万博を機に、公害対策も進んでいったとの事。

世界と触れ合う事で学び、よりよい環境を取り入れられる

そんな意味からも、経済成長真っ只中のアジア諸国で

日本に学ぼうとする国もあるのだろうと納得します。

 

自然豊かな魚沼で成長した長女が、なぜか途上国に興味を持ち

16年ほど前に中国成都で語学留学を体験したのは

経済的な問題もあったとは思うのですが、たぶん田舎暮らしに

残っていた、汲み取りトイレの使用などを体験していたから

あまり苦労する事もなく、むしろ色々な価値観の人々が集う

留学生寮暮らしに会ったのだと思います。

 

その後大学4年間を過しながら、春節休みの度に、

ラオス、ミャンマー、タイ等とバックパッカーの旅を体験し、

卒業前年には、強引に私が誘われたのですが、

その旅はタイで合流後、カンボジア→ベトナム→中国と

バックパッカー陸路の旅を体験する事に。それはベトナム戦争、

カンボジア内戦歴史博物館を見る旅でもありました。

今思うと、本当に貴重な体験をさせてもらったと思います。

 

カンボジアではまだ舗装が進まず、赤土の凸凹道を

クラクションなりっぱなしで、すれ違い、マスクが赤く染まり

脇に広がる荒野には、有刺鉄線が張られ、所々髑髏マークの

看板が立ち、地雷エリアなのだろうと想像していました。

 

バックパッカーの乗り合いバスは、ハイエース中古や

韓国ポスターの貼られた中古バスだったり

ベトナムの列車では、一等車チケットと騙されて2等車を

(一応指定席)渡され、体験した地元の人達との列車旅。

 

中国国境へ向かう車窓からの景色は、子供のころ見た

(父の実家津南へ向かう)上越線の風景に似た田園風景。

固い板の座席すら、SL列車の座席を思い出す懐かしい物・・

 

歩いて渡った中国が、近代的な街に見えるほど

まだ山間部のベトナムは、のどかな田舎風景でした。

 

そして、昆明までの移動で、始めて乗った寝台バス!

何もかも、あの時だったから体験できた事だったのかも。

もう、体力的に無理だろうなと思える旅でしたから。

 

そんな長女は今、インドのケララ州でアーユルベータの

短期学習中との事。

先日のどかな田舎風景を見せてくれると、スカイプで

散歩がてら見せてくれた未舗装の街並みに写っていたのは

三輪トラック!

「あら、三輪トラックなんて、私が子供の頃あったわ」と

思わず言っていましたが、TVのオリンピック準備の光景で

三輪トラックが走り回っているのを見て、ある意味彼女は

タムスリップした時代を体験しているのかな?などと思えました。

 

 

 

思い込みを確認

昨夜からの雪は大したこともなく、今朝から降ったり上がったり
降り始めると、このまま本格的な雪になるのかと思われるほど
勢いがあるのですが、しばらくすると雪は上がり
雲の切れ間から青空も覗くという、変化のある天候の1日でした。

雪の晴れ間

雪の晴れ間

里山の朝

ところで、
昨日も思い込みの話をいたしましたが、思い込みにもいろいろあり
先日お客様から質問され、何気に答えていたことに疑問を抱き
夕食時に義母に確認してみたことなのですが、やはり私の思い込み
それは、開高健氏滞在時の様子を語る中で
エッセイにも出てくる晩酌の話。
焼酎を注ぐ時に「姉上、指2本(又は3本)」と言う話。
この指2本とはグラスを持った時、グラスの底から指2本分まで
焼酎を注いでほしいという事なのですが、てっきり私は
焼酎をお湯割り(または水割り)する為の濃さかと思っていたのですが
実際はストレートで飲むのだそうです。
また、大好物だった木の芽の巣篭り(生卵落とし)を丼で食べたと
言われていたことも、実際には一人での滞在中は夏場の為
木の芽の季節は終わっているので、疑問を感じていましたが
このエピソードは後に家族と再来した時、皆で食べたとの事でした。
実際の開高先生は、指2本ほどの焼酎をちびちびと飲みながら
わずかばかりの山菜や田舎料理をつまんだ程度で
酒量も2杯程度までと、とても少飲、少食だったそうなのです。
何となく食道楽な、暴飲暴食を想像していたのですが
日々の生活では、極めて健康的な食生活だったのかも・・・
もちろん、夜食に関しては知り得ませんが、当時の銀山平では
家族と同じ食事をとっていたと聞いていますし、たまに届いた
差し入れも皆で一緒に頂いていたようです。
多分、他にも思い込みからくる勘違いは色々あるのでしょうが
人から質問されなければ、確認することのなかった些細な事。
でも、質疑応答でなければ突っ込んで知り得る機会はないですし
私が間に入ってしまうと、思い違いも多々あると思いますので
両親から直接聞いて頂くのが間違いないですよね。
両親が銀山平まで来る機会も、年々減少していますので
そんな機会をご希望の方は、ぜひ予約時にお申し出ください。