銀山平と村杉のあゆみ





2002年(H14)に銀山平温泉に移転開業した村杉は
遡る事37年
1965年(S40)に村杉沢脇へ初代店主が村杉小屋として開業
1987年(S62)には銀山平船着き場にあった食堂・売店に増築し宿を移転フィッシングハウス村杉と改名、15年後には銀山平温泉へ移転し村杉と改名、現在に至ります。
宿になってからだけでも3地点で営業をしてきたため、カーナビの電話検索では旧宿地へミスリードされることもありますのでご注意を!

村杉沢近くには銀鉱採掘当時に村杉の宿があり、宿を始めたきっかけも、隣接する林業事務所の賄いを頼まれた事からと聞いております。

現在2代目店主である夫は、初代の一人息子で私の参加はS52年。
当時の銀山平は宿の片手間、山菜を採り、なめこを栽培、船着き場での売店と食堂等、知名度の低い中細々とした多角経営でしたが、その分子育てもゆったりとし経済的には厳しいものの、ゆとりのある時代・・
食材に使うニジマスは生け簀で飼い、必要に応じて調理するため、時には娘も参加して私設釣り堀体験。おじいちゃんが魚の腹を割き、まだぴくぴく動く心臓を孫娘の掌に載せたり、動く魚はえらに指を突っ込んで掴むなど自然にまつわるたくさんの教えを受けました。

ここからは 村杉の歩み 興味のある方はお付き合いを!
年表での表記はこちら→

年に数組、作家開高健氏ファンが訪ねてきます。
釣り人も北之又川上流の全面禁漁に興味をもたれます
そしてリピーターの方からも、この銀山平温泉地区移転について質問されますので、テーマごとに解説させていただきます。

村杉が宿になるまでの経緯年号は年表参照で

奥只見ダム建設に当たり受け取った補償金の一部で山菜小屋を新築し、中ノ又などへの移動手段用に和船を1艘購入したのがきっかけとなり、ボチボチ来始めていた釣り人の宿泊や釣り船ガイドを依頼に応じて始める

2年後には村杉沢の脇に初代の村杉小屋を新築し移転する
(補償金を大切に維持していたそうですが、大湯温泉で散在した人も多かったとか)
すぐ隣接して県の林業事務所が建ち、渡り廊下で繋げ賄を請け負いながら釣宿 村杉小屋のスタートです
(林業事務所の仕事は国道352号となる福島県との県境金泉橋までの林道作りです)

作家 開高健氏との出会い

S38年頃から常連であった釣仲間「銀山会」には、ルアー釣を広めた釣師「常見忠氏」も居て、その紹介によりS45年5月に開高健氏がフィッシュオンの取材に銀山平へ始めて来たそうです。

すっかり銀山の自然が気に入った開高先生が「再度来るので今度は長逗留をしたい」との申し出に「大先生に出せる料理など思いつかないから・・」と辞退する両親を「お二人と同じ物が食べたいのだから」と説き伏せたとの事。

実際両親と一緒に食事をする為、他にお客様がいるような時は姿を見せず、仕事を終えて食事の用意が出来ると、呼びに行くまでも無く現れたそうです。
丁度この時期には林道工事も終わっていたので、隣接の事務所には誰もおらず2階の役員部屋(床の間・内廊下付)に宿泊し、6月~8月までの3ヶ月間ゆっくりと釣りを楽しみつつ、電気の無い中ランプの灯で小説「夏の闇」の構想を練ったと言われています。

この3ヶ月本当に山菜中心の食事だったのですが、特にアケビの新芽を茹で卵黄を落としてしょうゆをかける「木の芽の巣篭もり」が大好物で大どんぶりで平らげたそうです。
開高先生のエッセイでも紹介されていますが、毎晩焼酎を「姉上、指2本下さい」などと酒量を指定しつつ継ぎ足しながら楽しく飲み語らったそうです。

この後10月にやっと電気が開通しますが、電話はもちろん無く予約は電報で受け付け、シルバーラインも一般道ではない為、関係者はパス券を見せて利用していたので送迎をしていました。

S46年6月 すっかり銀山平の山菜ファンになってくださった開高先生が今度はご家族を連れ、当時サントリー社長佐治家ご家族と一緒に再度木の芽を食べにいらっしゃいました。
更に9月にはお一人で釣に来たのですが、この時は山菜の季節ではないので母は山芋を掘りに宇津野まで下りて用意したようですが、「自然薯は初めて」ととても喜んでもらえたそうです。
この後やっと銀山に電話がひけます

「奥只見の魚を育てる会」

こうして度々開高先生がいらして共に食事をし、釣のお供をするうちに少しづつ自然保護の大切さを話題にし、地元だからこそ出来る自然保護を説き聞かせ、理解出来るまでに先導してくださったようです。
大岩魚で有名だった銀山湖も(貧山湖)とまで言われるほど魚が減少してきた事もあり、地元での危機感も大きくなって来ました。
S50年4月 魚の減少に不安を抱いた釣り人と共に(銀山湖の魚を守ろう!)と「奥只見の魚を育てる会」の初会を開き事務局を湯之谷村役場に発足します。
そして11月には第1回記念放流をする事が出来ました。
その後いろいろイベントをしながら大勢の方々とかかわり、現在に至っていますので、詳しくは「奥只見の魚を育てる会」ホームページをご覧頂くとして
地元漁業共同組合に努力して頂き
昭和51年に銀山湖の禁漁期間が現在の10/1~4/20までとなりました
さらに昭和56年には北ノ又川上流が保護水面となり、密漁の取締りが始まります。
また2017年からは鱒類の釣果引数制限も始まりました
現在も保護水面として、禁漁だけでなく入川制限も設け北之又川生態系保護をしていますので、川遊び等は石抱橋より下流にて行うようご案内しています。

第1回記念放流 開高健氏と

村杉小屋→フィッシングハウス村杉→村杉へ

やがて渓流釣りの他にトローリングやフライフィッシングと釣りもスポーツとして発展し、銀山平の各宿の釣り船も「木船」からプラスチック製に変わり、村杉でも船数10台を越えた頃
S57年11月に上越新幹線(大宮駅)まで開業
続いて12月関越高速自動車道(小出~新潟間開通)
更にS60年10月には関越自動車道全面開通、新幹線も東京駅まで全面開通となり
観光のお客様や観光バスの数も増えていきました

昭和62年釣り船も14層に増え、いよいよ桟橋付近の銀山平バス停前で営業していた食堂を基礎として、3階に建て増しフィッシングハウス村杉と改名
一階は売店・2階は食堂・3階は客室と言う間取りで、宿と食堂・土産物屋を合体させた釣宿となります。
これから10年近くはバブルの影響と、スポーツとしての釣やスキーなどアウトドアスポーツのピークを迎え、トローリング・キャスティングなど船を利用した釣り人と奥只見丸山スキー場の春スキーヤー、紅葉の観光バスと銀山平の一番賑やかだった時期となります。

平成4年10月銀山平から尾瀬方向に湖畔を3kmほど先に行った「丸太橋」で掘削していた温泉がついに湧き出て、銀山平温泉の入り口に辿り着きます
その後温泉センターをどこに立地するかなど、今後の銀山平の方向性の話し合いが時間を掛けて行われますが、詳細は(ノンフィクション世界文化社)でも紹介されています。

 「イワナ棲む山里ー奥只見物語」 足立倫行 著
 「続 奥只見物語ーイヌワシ舞う渓谷」秋月岩魚 写真

平成10年 10月17日(土)夜~18日の早朝にかけて台風10号が銀山平地区に直撃し、油断して売店の囲いをしなかった村杉売店ではガラスが割れ、商品が飛び散る被害にあいました。
平成12年 銀山平森林公園遊歩道と共に温泉センターとログハウスが建築
平成13年 雪解けを待って6月から一斉に各宿本館の建設を開始し11月の営業終了と同時に引越しを済ませ旧宿の解体を済ませます。
平成14年 4月より温泉センター「白銀の湯」と同時に温泉宿として「村杉」をオープンし、ホームページも同時に開設します。。

ここで村杉の名前の変化なのですが「村杉小屋」当時は山小屋のイメージが強く、「お風呂はありますか?」などの問い合わせが多かった為、船着場に移転した時に釣宿を伝える意味で「フィッシングハウス村杉」と改名
更に温泉宿に変った事で銀山平温泉と地名が付くことから簡単に「村杉」と言う短い名前に収まりました。

銀山平温泉 ログハウス村へ

温泉センター「白銀の湯」を中心に、6件の宿が本館の他にログハウス各3棟を管理しそれぞれに営業しています。
ログハウスは3棟とも定員が違い(4名~、6名~、8名~)となっていて、村杉では本館を1名~2名の個室とし、3名様以上のグループ、ご家族にはログハウスをご利用いただいたいます。
本館の内湯の他に温泉センター「白銀の湯」を割引(一部無料)でご利用頂けます。

2018年現在義父は90歳義母は88歳と平均年齢を超えても元気に過ごしておりますが、宿への通勤は難しく自宅で畑仕事を楽しんでいます。時に取材の申し込みもありますが、そんな時は自宅にて対応しています。
今ならかろうじて昔語りの確認をとれますので、記載に疑問のある方はお問合せメールをご利用ください。
中には記載ミスもあると思いますので、遠慮なくご指摘くださいますようお願いいたします。